御先祖様に感謝
先日実家の墓参りに行ってきました。
10年以上ぶりの墓参りです。
父親方のお墓と母親方のお墓の両方に手を合わせてきました。
子供の頃は何も考えずに手を合わせてましたが、やはり大人になってからだと手を合わせる時の気持ちが全く違うものです。
両家の御先祖様のおかげで今の私があります。
御先祖様の顔は遺影で分かりますが、人柄までは分かりません。少なくとも御先祖様の血を受け継いでますから私に似た部分もあったでしょう。
これからも御先祖様に感謝をしながら生きて参ります。
先日、高校生の娘の文化祭に行って参りました。
クラスで劇をするとの事で体育館へ。
9月の頭でしたが、公立の体育館。クーラーなんてありません。
客席を真っ暗にするために暗幕を引き、会場の熱気も手伝って
今の時代、室内でこんなに暑い場所が存在するのかしら。
と思うほど、蒸し風呂のようでした。
しかし、高3の文化祭。私が子供の学校行事で参加できる最後の文化祭です。
舞台に立っている娘を見ていると、暑さも忘れ、幼稚園の初めてのお遊戯会を
思い出しました。14年も前になります。
毎日毎日見ているのに…この14年間、きっとどの時点の昨日と今日を比べてみても
その差は分からないでしょうけど、振り返るといつの間にこんなに大きくなったのかと
思ってしまいます。みんなそうですよね。
そんな事を考えているとクラスの劇も終わり、体育館の2階の暗幕も窓も開けられ
久しぶりに自然の風のありがたさを感じました。
一日でできない事もその一日を積み重ねていけば、偉大な力になります。
私はこちらに入社して、まだわずかですが、改めて人は一生かけて日々勉強できるものだと
痛感しております。今はまだ、皆様に迷惑をかけないように頑張る事が一番ですが、
一日一日を大切に積み重ね、成長し続けたいと思います。
昨日は、台風の影響で雨も風もすごかったですね。
私は休日だったので、以前から出かける予定をしていたのですが、
警報が出て中止となってしまいました。楽しみにしていたので、残念でした。
さて、先日お客様とお話をしておりましたら、
お墓が遠方にあるので、何とかしたいとおっしゃっていました。
色々な事情で2,3年くらいお墓まいりに行けなかったそうです。
管理してくださっていたご近所の方から最近連絡がなくて
お墓がどうなっているのか心配。。。
何とか都合をつけてお墓まいりに行くことになったそうですが、
この機会に墓じまいを考えようかと思われたそうです。
わたしの親戚も、
家族は皆、大阪に住んでいて墓まいりができず、
遠い親戚に管理をお願いしていたのですが、
数年前にお墓のお引越しをしました。
最近、墓じまいをする方やこれから考えようとする方が増えています。
費用も気になるところですね。
どこに聞けばいいんだろうと思われている方は、
お気軽に私たちにお聞きくださいませ。
帰りの電車は、台風の影響か、連休の真ん中ですがガラガラ。
そりゃ、この風雨のなか敢えて外に出ようとおもう人は
すくないでしょう。
そんななかでもご葬儀はあります。
さて、みなさん物の価格はどうやって決まるのか考えやことは
あるでしょうか?
なんでこれはこんなに高いの!これはほんとうにお買い得だ、
うん、安い!
などなど。
みなさんもご存じのように、基本は需要と供給のバランスで
価格は決まります。
現代で、価値が感じられないものであれば、
欲しい人は少ないから売れない、つまり値段は下がります。
だから、必要ないものは売れないから、値段も2束3文。
でもみんなが欲しがっているものであれば、我先に、少し高くても
手にいれたい、だからどんどん値段は上がっていく。
私が以前やっていた仕事は、そんな値段の上下変動を利用した
仕事です。
相場には格言というものがあります。
基本中の基本、「もうはまだなり、まだはもうなり」
一般大衆がもう下がらないだろう、もう買値だと思っているうちは
値段は下がり続けます。
逆に、まだまだ上がるから売るのはやめようと思っている途端、値段は
大暴落をはじめます。
売りのタイミングを逃すとか、買い拾うのができず、いつのまにか値段が
上がってしまった。
そんなことは世の中しょっちゅうあることです。
しかし、そのうらで底値で買って天井で売ることができる人が
いるんです。
相場の世界では、いわゆる少数派です。
しかし、その少数派が相場の実験を握っています。
この相場の世界だけは、マイノリティが強いんです。
いま、葬儀の費用も年々下がっています。
下がることが善とする風潮さえ見えます。
公正な価格を考えず、適正価格が決まることはありません。
適正は一般大衆が決めるのかもしれませんが、始めに申し上げた
ように、需給のバランスと価値があって価格は決まります。
つまり、逸脱した高値はいずれ是正されますが、それは安値も
おなじなんです。
逸脱した安値では、その商品の価値は逆に損なわれます。
安くすませられれば良いに越したことはない、はその安値であっても
価値が見いだせるかどうか。
やすかろう、悪かろうは、本末転倒であることはみなさんもご存知
のはずです。
本当にみなさんの価値観と提供するサービスが合致したときが、
本当の適正価格であると。
9月も半ばにさしかかり、秋の気配を感じ始めました。
偶然通りかかったお寺の掲示版に掲示されていた言葉、
子供を叱るな 皆通ってきた道だ 老人を嫌うな 皆通る道だ
と書いた張り紙がございました。
お寺様の深い言葉です。
肌寒くなってきました。
寒暖の差で体調を崩さないよう気を付けてお過ごしくださいませ。
さて皆さんはヴェルレーヌの「秋の日のヴィオロンの……」とかカール・ブッセの「山のあなたの空遠く……」の詩をご存知ですか。この有名な詩は上田敏の訳詩集『海潮音』に収められています。
『法華経』に「妙音観世音、梵音海潮音、かの世間の音に勝れり」とあります。梵音とは清らかな音色、尊い御声で、仏の声を称えていったもので、海潮音は音の大きいのを海潮に譬えていったものですから、仏の心理の言葉は大きく遠くまで伝わることを意味してます。
上田敏はこのお経の文句から『海潮音』という題名をつけたのだそうです。
日差しも和らぎ、少しずつ秋を感じる季節になりました。
最近テレビを見ていると、お墓参りのマナーを紹介している
番組をよくめにします。
お彼岸が近いからでしょうか?
知っている様で知らないマナーがたくさんあり
とても勉強になりました。
お墓参りに行く予定はありませんが、
行くときは実践しようと思います。
沖縄や九州では台風の影響で大変なことになっているみたいです。
今年は豪雨が多いような気がします。
最近弊社への相談内容でお葬儀以外で多いのが、墓じまいの仕方についての相談です。
田舎には墓があるがなかなか行けれないし、後々子供らに負担を掛けたくないと言う方が多いようです。
簡単にはいかないのですがやり方はございます。
悩んでおられる方は弊社までご連絡くださいませ。
朝から雨が降っていました。
ここ最近は少しの雨なら日傘で間に合わせておりましたが、
今朝はひさしぶりに雨傘を出しました。
ひと雨ごとに涼しくなってくれるのでしょうか。
先日テレビで、何かの三択クイズが流れているのを何気に聞いていますと、
「次のうちでドライブスルーとして実施されるものは何でしょう」
といった問題で、本当に何気に少し離れて聞いていましたので、
三択のうちの1つが「お葬式」だという事しかわかりませんでしたが、
「いくらなんでもお葬式ではないだろう」と聞き流しそうになっていました。
すると、少し経ってから
「正解は…○番のお葬式でした」との声。
思わず「え?!うそ!!」とテレビの前まで近づきました。
なんでも身体が不自由な高齢者の方の為に、車から降りずに会葬できることを目的と
されているそうです。
後で調べてみますと、長野県にある葬儀社が年内にも実稼働を行う予定で、
その名の通り、車から降りずに窓を開け、受付を行い、御焼香まで出来るそうです。
ただ御焼香は通常のように抹香を指でつまむのではなく、焼香台に置かれたボタンを
押すと、会場の喪主様の近くに置かれた花形のランプに明りがともって知らせてくれる
との事です。
なんとも斬新なこのシステムにネットでは賛否両論ですが、
稼働後の体験された方のお話を是非聞いてみたいものです。
先日テレビで、ミルグラムのアイヒマン実験についての番組がやっていました。
閉鎖的な状況下で、どれだけ人間は残酷になれるか?というものです。
おそらくご存知の方もいらっしゃるでしょう。
しかし、この番組の面白かったことは、どんな状況下でも人間は選択の余地がある、
と判断することができるということです。
たしかに怖いのは、なにか卑劣な行いをしなければならない状況下で、その手を下した
人は、みな「命令されたから」と答えるわけです。
いわば洗脳です。
洗脳下では人間は、自分の身の危険を感じでなにか恐ろしいことを行ってしまうというよりは、
正しいと判断したり、責任が自分の手から離れてしまい、思考が完全に単純化してしまった
とき、つまり選択の余地を考える必要がない状況に陥った時に、通常ではありえないような
行動を行うということです。
命令されたことに対しての善悪ではないのです。他者が責任は全部こちらが被るということ
だけで、普通であれば選択しない、もしくは選択してもまさかこちらは選ばないであろうことを
やってのけてしまうのです。
残酷さというよりは、思考を奪われた状態です。
そんなことこの今の世の中ではありえない、とはあながち言い切れませんよね。
みんなでやれば、ほかの人もそうしているし、きっとみんなそう思っているはず・・・
なんてことは、似たようなものに思えて仕方がありません。
どれだけ自分はそんなにいい人ではないかもしれないが、悪い奴でもないなんて自己分析して
いる人でも、右へ倣えのような行動で人を貶めている可能性は十分にあります。
一番いけないのは、自分がだめだとわかっていても、自分を正当化する本能が働くあまりに
人を知らず知らずのうちに扇動しようとしたり、取り繕ったりすることです。
また、布石を打ったりして自己を否定しているそぶりをしながら、肯定する人も問題です。
なんの話か?と思われるかもしれませんが、よく「世の中が悪意に満ちている」というような
論評をする人がいますが、悪意になんか満ちていません、というのが私の意見です。
悪意に満ちさせているのは、自分の心です。
私たち葬儀社は、様々な人生を送ってこられた故人様を送る手伝いをします。
本当にどんな方だったかは、正直わかりません。
たとえば、悪人と呼ばれる人は葬儀をする資格があるとかないとか、いい人だったから手厚く
葬られるべきで、一般的な人生の方だったから、それなりに済ます、なんてことで、葬儀の行為が
変わるわけではありません。
また、我々は宗教家でもありません。
だから、聖人ぶって、すべての方の魂が・・・ということで葬儀のお手伝いをしているわけでも
ありません。
どのようなご葬儀をされたいか、送る側、送られる側の方の意向にできる限り添って行い、
何かしら送ったという実感を残すことができたのであれば、それが大切なことの一つのような
気がしています。
葬儀軽視の風潮が世の中にあるような気がします。
そんな中、葬儀社の社員にしても、役者のごとくその場を演じるような者もいるかもしれません。
時代に流されず、どうしたいかを本気で考える、そこに本当の葬儀の意味合いがみえてくる
かもしれません。
最近、夏の疲れがでてきたんじゃない?!と
感じることが多くなりました。
夏バテというものですね。
とは言っても、ダラダラ過ごすわけにはまいりません。
さて、先日お客様とお話をしておりましたら、
「今度のお彼岸に納骨しようと思うのよ」
とおっしゃていました。
お話をお聞きしているうちに、
なんとなくですが
『お彼岸に納骨してもいいのかしら・・・?』と
不安に思っていらっしゃるんではないかと感じたのです。
「よろしいと思いますよ。決まりはありませんので。」と
お伝えしたところ、
「そうよね!いいわよね」とすぐに返事が返ってきました。
とその後も色々とお話しさせていただきましたが、
そのほとんどは「大丈夫ですよ。それでいいと思います」と
お答えするものでした。
今までも、これからも私たちは、
お客様の良き相談相手であり続けてまいります。
ちょっと話が聞きたいと思われたら、
いつでもお気軽にご相談くださいませ。
以前、お寺様が法話で語っていたことですが、
「自分のこだわりを捨てて物事を考えてみる」という内容の法話でした。
一度捨てて真っ白の状態で多角的に物事を考えると今まで見えなかったことが見ることができる。
ご法話を拝聴しながら、自身も考えてしまいました。
「不要なこだわり、してないかな・・・」
朝晩だいぶ涼しくなり過ごしやすくなってまいりました。昔から暑さ寒さも彼岸までと言われているように、もう少しするともっと過ごしやすくなるのでしょう。
私たちがいますんである世界を此岸といい、仏様の世界を彼岸と言うのだそうです。
そしてこの時期にご先祖に感謝して墓参りをする日本独自の行事なのです。
もう少しでお彼岸です、そろそろお墓参りの準備をしてまいりましょう。
本日は雨が降ったり止んだりでしたね。
風邪をひかないように留意してください。
さて本日はお客様との打ち合わせがございました。故人様に対するお家の方のお気持ちをしっかりと受け止めてカタチにしていきます。
お葬式はやり直しがききません。だからこそこの打ち合わせがとても大事なのです。後からアレもしたかった、コレもしたかったと言われても終わってからでは出来ないのです。
ここを川上葬祭では本当に大切にしております。
事前にこういうお葬式にしたいとお考えなのであれば一度相談に来られるのもいいと思います。
先日実家の父の3回忌が無事に終わりました。
菩提寺であるお寺様は、昔から祖父の法事の度に来てくださり、
その都度色々なお話しをしてくださっていました。
そのお話しの内容をあまり覚えていなかったのですが、
集まった親戚を前にして
「こうやってみなさんが集まれるのも、亡くなった方のお陰ですね」
とおっしゃていた事だけ覚えています。
確かに、うちの実家も祖父の法事は少なくなっていましたが、
父が亡くなってからは、一周忌、三回忌と普段会わなくなったいとこ達が集まり、
「早いねえ」「もう2年経ったね」と言いながら、ここしばらく
年に1度みんなの顔を見られる事は、結構うれしいものでした。
また、仏様のいる親戚の家にはお盆になるとお供えを持って伺ったりしますが、
そうでない親戚の家にはなかなか伺う機会がなくなるものです。
亡くなってからも父に感謝です。
朝晩、だいぶ涼しくなり、過ごしやすい日が
続いています。
とは言え、日中はまだまだ暑く
少し動くと汗をかいてしまいます。
季節の変わり目は体調をくずしやすいと
聞きます。
体調には充分気をつけ、
今日も仕事に邁進したいと思います。
早い時間のご葬儀があり、普段より早く通勤しておりました。
今まで気が付かなかったのですが、ご近所の方々が早朝から自宅前の道路を清掃をしておられました。
タバコの吸い殻やゴミを集め道路を綺麗にしてくださり、
歩行者の安全を守っておられました。
皆さんの善意で景観や安全が守られていることに感謝の気持ちでいっぱいです。
ご葬儀というのは、いや、ご葬儀といいますか、一人の人が 最期を迎えられるとき、それを取り巻く環境というのは、 それこそ人生の縮図とでもいうのでしょうか、本当に 様々な人の様々な感情が入り乱れるすごいときなんだと。 その瞬間から落ち着きを取り戻すまで、いろんな感情が 交錯するわけですが、端からみるのと当事者になるのでは 全く違う見解が示されるわけです。 いろんな事情で、遠縁の方を送られる方もいらっしゃいます。 長年、ほんとうに十数年と看病や介護を続けてこられた方。 世の中の流れがそうなのかもしれません。 そんな風に思うこともあります。 生きているときに、精一杯やったんだ、亡くなってからは…… いろんな思いがあります。 その思いを形にできたらどうでしょう? どんな形になるのか?
最近、朝夕が涼しくなっていますが、
まだまだ日中は日差しがきついなと感じます。
さて、先日私たち業務課で
筆ペン勉強会をしました。
筆ペンで文字を書く事も大切な仕事のひとつです。
少しでもきれいな文字が書けるようにと
日々練習しています。
得意な文字や苦手な文字は人それぞれです。
練習していると、上下、左右のバランスが少しずれただけで
こんなに見た目が違うのか・・・と実感します。
見本を写して良い形を覚えていく。
そして、見本を見ないで良い形を思い出しながら書いてみる。
その繰り返しでどんどん上達するような気がします。
何かを達成するには、とにかく日々の努力ですよね。
少し涼しくなってきましたね。
季節の変わり目、体調を崩さないようにお過ごしくださいませ。
さて浄土真宗では本来位牌は不要で過去帳に法名を記します。ですが大切な人を亡くされて心の整理がつかないまま、手を合わせる対象が無くなるというのは寂しいものです。
浄土真宗では位牌は不要ですが手を合わせる対象として位牌を準備するのは有りだと思います。
手を合わせるということはその人が故人に向けて「いい所(極楽浄土)に行ってね」とか「今までありがとう」とか色々な願いや思いを持って手を合わせるのだと思います。そういう気持ちを大切にしてこれからも私達はサポートして参ります。

































