新年度の始まり
一般的に新年度といいますと4月になりますが、弊社は5月になります。
そして今日が新年度のスタートです。
毎年、この日は一年が早く過ぎるものだなぁとシミジミ感じる日でもあります。
過去を振り返ったり、先の展望を想像したり。
今期も精進してまいります。
気づけば桜も葉桜になり、少し動くと
汗ばむ季節になりました。
昨日からゴールデンウィークの方も多いのでは
ないでしょうか?
さて、私は最近、1日一ヶ所片付ける事にしています。
もともと散らかすのは得意ですが
片付けは苦手です。
いっぺんに片付けようとするから途中で飽きてしまいます。
ですから1日一ヶ所、ここと決めた狭い範囲を片付けます。
いつまで続くか分かりませんが、もう少し頑張ってみようと思います。
式場もキレイにしてお待ちしています。
本日はお通夜でございました。
そこでお寺様より一休さんの話を聞きました。
孫が生まれた人が一休さんに言葉をいただきにに行きました。そこで一休さんからとんでもない言葉をいただきました。それは「親死子死孫死」という言葉です。その言葉をいただいた人は孫が生まれたのに何て言葉を言うのだと怒り帰りました。
しかし、その言葉には何かあると考えました。実は親が死に子が死に孫が死ぬと、順番に亡くなるのはとても喜ばしい事だと気付きました。
親より先に子が死ぬという事はとても辛い事です。順番はありませんがいつまで生きられるのかは誰にも分かりません。
もう一つこんな話もされておりました。「死」は怖いもので皆さんが目を背けるものです。考え方が変われば怖くなくなるとの事です。死の先の目的地を見据える事により「死」が怖くなくなります。
それは日常の生活にも当てはまるかもしれません。目の前の嫌な事ばかりに目を向けるのではなくその先に目を向けて今出来る事をするのが良いと思います。
今何かに悩んでおりませんか?
その先の事に目を向けるとその悩みなんかちっぽけになるかもしれませんね。
木を見て森を見ずとは、よく言われる訓戒ですが、
逆の森を見て木を見ず、ということも実はよくあること。
どちらの見方も重要であることは、間違いありません。
結局、どの範囲を森とするか、どの単位を木にするかでも
大きく変わってきます。
森を形成するのは木々であり、木がなければ森は森では
なくなります。
木もいろんな木があり、様々な特徴を個々にもっています。
どんな森にするかは、木1本1本がどう育つかにかかっています。
同じ高さで同じ幹の太さで枝振りも同じ、そんな森もあれば
大木やくせのある形をしたもの、枝がたくさんあるもの、
そんな木々で形成された森もあります。
さて、ご葬儀のこと。
ご葬儀も、様々なスタイルがございます。
施主様の考え方もいろいろです。どこに重点をおいて
葬儀を行うか?によって葬儀の流れも変わります。
ただし、どういったスタイルにせよ大事なのは故人様を
しっかりとお送りすることであり、スタッフは陰ながら
ご遺族をサポートさせていただく、これにつきるのでは
ないでしょうか。
日中はかなりあたたかくなってきました。これから暑さが厳しくなってくるのですが束の間の気持ちのいい季節を味わいたいところです。
毎朝会社近くを掃除していますと、皆さんからあたたかいお声をいただくようになりました。
大変嬉しいです。
なんでも続けることが大切だと本当に感じました。
この掃除も、もう10年近く続けていることなんです。
挨拶から始まる関係
大切にしたいと考えています。
一日中雨でございます。また少し肌寒くなってまいりました。
そんな中、本日は本社近くの地域会館でご葬儀でございました。
このような場所でのご葬儀はいつもとは違った緊張感がございます。
参列の一般の方々は昔から川上葬祭をご存知のご近所様ばかり。
いつもと違う事があればすぐに噂となり、大きな問題へと繋がる可能性もあります。
これまで諸先輩方によって支持され続けている川上葬祭の品位を落とさぬ様に一つ一つを丁寧に施行してまいります。
最近、日中は暖かいというより暑いと感じる日もあります。
Tシャツを着て歩いている人を見かけた時は、さすがに驚きましたが。
さて、先日たまたまテレビをつけると、
お葬式のドキュメンタリー番組が放送されていました。
ご家族だけでこじんまりしたお葬式をしたい。
家族だけでゆっくり過ごしたい。
家で過ごしているような部屋でお葬式をしたい。
故人やご遺族の想いや希望はさまざまですが、
安置施設や宿泊施設を兼ね備えていて
火葬の日まで何日も待つ場合は、
一緒に過ごし、気持ちの整理ができる大切な時間なのでしょうか。
ご覧になった方はの中には、いつか突然やってくるかもしれない一大事のことを
考えた方もいらっしゃったのではないかと思います。
私たちも少しでも疑問やご不安がなくなるように
ご説明させていただきます。
どんな事でもお気軽にご相談くださいませ。
過去・現在・未来は時の流れを表す日常語です。
仏教ではこれを「三世」と言います。過去は過ぎ去ったもの、現在は生起したもの、未来は未だ来ないものと言う意味です。三世は過去・現在・未来の他にも、前世・現世・後世とも言い、略して「過現未」や「己今当」とも言います。
しかし、これらの言葉には、どこにも「時」と言う語が見当たらないのです。それは仏教では時間と言うものを実体として扱わず、存在するものの変遷として捉えるからなのです。その過程の上に仮に三つの区別を立てているにすぎないと説きます。
仏教はその三世の中でも現在を問題にします。それは過去は現在の原因として、未来は現在の結果としてあるものだから、現在こそ全てだと考えるからです。
やはり現在が大事と言う事ですね。
今と言う時間を大切に。
私、約1年ぶりに自宅葬の施行を執り行いました。
昔ながらの広い庭があり、故人様が育てられた季節の花が咲き乱れていました。
ご自宅で葬儀をするのは故人様の希望で、足の不自由な近所の方々にも参列しやすいようにと
配慮されてとのことでした。
春の青空の中、地元の皆さまに見送られながらお旅立ちになられました。
様々な準備や配慮が必要になる自宅葬ですが、ホール葬には無い良さも感じます。
素敵な経験をさせていただいた、ご葬儀になりました。
4月は新しい出会いが増える季節です。新しいランドセルを背中に歩く姿や、少し大きめの制服がやけに新鮮に見えますよね。
私も随分前にそんな時があったなって思い出しておりました。
弊社でも毎日のように初めてのお客様からの事前の相談がございます。
お客様のご不安な事は何なのか?
多少は理解できるようになってきました。
相談が終わると皆さん笑顔で、
「少し安心しました」と、
おっしゃっていただけます。
その言葉を聞くと私もホッといたします。
少しでも疑問をお持ちの方などおいででございましたら、お気軽にお問い合わせくださいませ。
またここ最近、気温差が激しい日々が続いております。再びコートを引っ張り出し、出社しております。
しかし、日中は暑い。
風邪などひかれないようにお気を付け下さいませ。
本日は以前ご葬儀をされたお客様に法要花を届けに伺いました。
少しお話をさせていただきますと最近またご親族の葬儀を行なったとの事でした。
しかし、今回ご依頼された葬儀社の祭壇のお花がよくなかったとの事で、ご親族の方々から
「この前の川上さんのお花が良かったって皆んなに言われて、勝ち負けするような事ではないけどお宅にお願いして良かった」
と喪主様にお褒めの言葉をいただきました。
確かに弊社は祭壇の花に力をいれております。
お褒めの言葉をいただく時はほぼお花の事です。
嬉しい限りですが現状に満足せず、もっとスタッフの対応が良かったというお声を一番に聞けるように精進してまいります。
春眠暁を覚えず
と言いますが、毎朝寝過ごして
ギリギリに出勤している方も多いのではないでしょうか?
私も毎朝、バタバタと出勤しているのですが、
なからず何かを忘れて
慌てて取りに帰ります。
忙しくても5分のゆとりを持つのが
大事ですね・・・。
早い時間のご葬儀があり、普段より早く通勤しておりました。
今まで気が付かなかったのですが、ご近所の方々が早朝から公園の清掃をしておられました。
大量に落ちた桜の花びらをかき集め道路を綺麗にしてくださり、
歩行者の安全を守っておられました。
皆さんの善意で景観や安全が守られていることに感謝の気持ちでいっぱいです。
本日も事前相談やお問い合わせなど、いろいろな場面でお客様と
お話をさせていただきました。
私たち葬儀社も、企業である以上「商売」をしているわけです。
商売という言い方をすると、なんだかお金儲け的な感じを受けがちですが、
仕事とはそういうものですから仕方がありません。
いろんな仕事があり、我々のようなサービス業もたくさんの会社があります。
我々サービス業は、お客様の反応が現場にいるスタッフがすぐに肌で感じられる
仕事です。
後々、「よかったですよ」と言っていただけたり、逆に「もっとあのときはこうして
ほしかった・・・」というお声をいただくことも勿論あります。
我々は現場で、急な対応に迫られることがあります。そこをいかにお客様の希望や
考えにそって対応できるか。
これには、経験や知識の部分も多分にあるかとは思いますが、それ以上に
スタッフの人間性が問われる部分でもあります。
人間性ももちろん、たくさんの学習の上に成り立つものでしょう。
お客様は、いろいろと大変な状況に置かれていらっしゃいます。
その方々に接するものとして、人間的にまだまだだと思う毎日です。
人との関わり方や接し方は、本当にいつまでも何年たっても勉強だと感じます。
人間性を高める努力は一生続くのでしょう。
数年ぶりにひどく風邪をひいてしまいました。
今年こそ造幣局の桜を見に行こうと
思っていたのですが、今年も行けません。
そして、4月も半分が過ぎました。
あたらしく何かを始めるにはよい時期なので、
いろいろと考えていたのですが、結局まだです。
先日、自宅の本棚を整理していて
新しいことを始める前にと、
家にある本を読み返してみようと思いつきました。
入社した当時に勉強しようと購入した本や
最近、実家から持ってきた気に入った本も久しぶりに開きました。
以前読んだ時と今とでは、趣味嗜好がかわっていて
また新しい発見があります。
さて、私たち業務課はお客様にお渡しする資料を
日々準備しています。
その資料を見ながら、ご質問のお電話があった場合に、すぐに取り出し
ご説明をしなければなりませんので、
整理整頓がとても大切です。
資料の中身も、私たちの回答も最新の情報になっているか
皆で確認してみようと思います。
ぼつぼつ暑い季節になってきました。
そんな中、弊社には今日もたくさんの方が、事前の相談にお見えになられております。
この頃の相談内容は、ごじしんのことが一番多いですね。
やはり残された方に負担にならないように準備をされたいとお考えの方が多いようです。
どんな些細な質問でも構いません、
お気軽にお声をお掛け下さい。
とうとう桜も散り出してまいりました。
毎朝近くの公園を掃除しておりますか、桜の花びらでいっぱいです。
車で移動しておりますと入学式の園児、児童達が、お母さんと手を繋いで歩く光景をよく目にします。
私もこの業界に入って四年目ですが、いつの間にか仕事に馴れ過ぎていないかと気を引き締められます。
今一度、二度とやり直すことのできない葬儀という職業に携わっているという事を再認識し、初心に戻って精進してまいります。
4月も半ばにさしかかり
ようやく暖かくなった気がします。
気づけば桜も満開です。
昨日、偶然通りかかったお寺の前に
子供を叱るな
皆通ってきた道だ
老人を嫌うな
皆通る道だ
と言った張り紙がしていました。
なるほどなぁ、と思う言葉でした。
「老婆心ながら」とことわって一言つけ加えたり、忠告したりする場面に出くわすことがあります。言わずもながでしょうが、とか、おせっかいとは思いますが、という意味なのでしょう。
「老婆心」とは老婆が子供や孫を愛撫し、いつくしむように、師匠が修行者に対してあたたかく導くこと。その心が深く厚いことを意味する仏教語だったのです。
それが度を越して、必要以上に世話をやこうとする気持ちを表す言葉となっていったようです。
度が越えないようなお世話を考えて行動して参ります。
浅田真央さんがフィギュアスケート競技を引退されましたね。
紛れもなく日本のフィギュア界のみならずスポーツ界を盛り上げた方ですね。
彼女の演技をテレビでみては、ハラハラドキドキしたご経験がある方も少なくないでしょう。
幼いころから打ち込んでこられたわけですから、引退という決断をあの若さでされるというのは
本当に凄いことです。
ものすごい経験をされてきたことでしょう。
私のような凡人では図り知ることのできない努力や苦悩や、または喜びもあったことでしょう。
しかし、一つの道を突き進んでこられたことに才能以上のものを感じざるを得ません。
葬儀のプロとして努力を・・・という話ではないのです。
人生のターニングポイントというのが誰にでもあるかと思います。
今の時期ですから、卒業や入学、入社や転勤、退職、などで大きく人生が変わった、
または大きいとは思ってなかったけど、あそこが変化点だったのかな?なんて考えた
ことがある方もいらっしゃると思います。
ご葬儀の際に、故人様がこんな方だった、こんなことがあってその後違う人生を歩まれた、
などいろんなお話を聞くことがあります。
もちろん、一つのことを何十年と最後まで貫かれた方だっていらっしゃいます。
私は、現時点で「あのときは・・・」と後悔していることがあります。
ただ、人生というスパンで見たときは、現時点でのことであり、そのことも含めて
「あの選択でよかったんだ」となるよう努力をしているわけです。
葬儀の仕事に携わってありがたく思うのは、仕事の経歴だとか功績だとかではなく、その方の
歩んでこられた人生のほんの少しではありますが、経験されたことなどを垣間見れることも
一つです。
そんななかで、故人様を見送られる葬儀において、「後悔」させるようなことがあっては、
絶対にならないということです。

































