近しい者
近しい方が亡くなられたとき、葬儀社に勤めていると、わかっているからか、何なのか、どうしたらよいのか、と悩むものだとつくづく感じました。
手順もなんでもある程度、理解しているつもりが、やはり冷静には判断しづらくなってくるものだと、実感しました。
一大事なんだと。
だから、日々しなければならないことが、山ほどあります。
葬儀社に勤める者が、大切なことは、やはりそこだと思います。
葬儀の会社で働いていると、お葬式の具体的な話を事前にしておくことが
どれほど大事か分かってくるようになりました。
私自身周りに御年寄の方が多いので機会があれば話をしたほうがいいなと
頭では理解しているのですが、中々言い出しにくいです。
葬儀社で働いていて、その必然性は承知していても
不謹慎の文字が頭をよぎります。
今欲しいものが変わるように、以前はこんなお葬式がしたいと思っていても、
やっぱりこっちの方がいいと思いなおしたり。
それを繰り返していくことで後悔の無いお葬式ができるようになっていくであろうことは、肌で感じております。
ただ最初に切り出すのは親しい間柄であるほど難しいものです。
いきなりどんなお葬式がしたいか、予算は、誰を呼ぶか。
そんなきっちりした話よりもまずは軽く今はこんなお葬式があるみたい、
お花が沢山の式をしてみたい、好きなものがあるようでしたらそれを少し取り入れた式にしてみよう、等。
世間話の延長線上でお話ししてみるのもいいかもしれません。
一度きりしかないお式です。
当然主体となるのは葬儀社ではなく、お式に参加される方々です。
皆様が納得のいくお式のイメージがあって、その式を形作るお手伝いができましたら幸いです。
先日誕生日を迎え、うちの奥さんに財布をプレゼントしていただきました
それまで使っていた財布は20年使っていたものなのでどうみてもボロボロなのですが
亡くなった父に買ってもらったもので、ずっと愛用してたものであります
うちの奥さんにもその事は伝えていましたのでプレゼントを財布にするかどうか悩んでいましたが
この財布を失くすと金銭的にも精神的にもショックが計り知れないので新しいものに替える決意をしました
今度実家に帰ったときに仏壇に置いとこうかと思います
長い間ありがとうお父様
次の財布も20年くらい使おうと思います
料理が好きです。近所のスーパーで買い物をする時間も同じく好きです。
買い物カゴを片手にぶら下げ、野菜コーナー、肉売り場の順に徘徊し、1円でも安い外国産鶏もも肉を血眼になって探し求める。
今ではそのスタイルを確立している自分ですが、かつて一人暮らしを始めたばかりの頃は当然そんなことはなく、必要な食材を思いつくままにカゴへポイポイ放り込んでいました。
鶏肉は胸とももで全然値段が違うということ。キャベツや玉ねぎで季節の移ろいを知ること。
スーパーでのお買い物のあれこれは、誰かに教わったというより、「こういうもんなんだ」と知っていくことで、経験として積み重なっていった気がします。
アボカドは自分の手でムニムニしてみなければ、お肉もパックを傾けてみなければ、その弾力や色合いにまんまと騙されてしまいます。
見ただけでは分からないこと、触れてみないと分からないことがスーパーには沢山あって、「実際に手に取ってみること」「それで感じたことと先入観を分けること」の重要さが改めて分かるし、これは買い物に留まらず多くのことに当てはまる。
臆病で小心者の私にとってスーパーは、格好の修行場ではないか。大事なことを教えてくれる、人生の恩師ではないか。ライフだけに
……と、指先を湿らさなければ袋のクチを開けない自分の不器用さに悶々としつつ、そんなことを考えていた、休日の夕暮れです。
お迎えに上がる際、安置先に応じてドライアイスが必要になる場合がございます。
人は亡くなられてから、腹部の方から痛んでくると言われておりますので、腹部を中心にドライアイスの処置をさせていただくことになります。
ご自宅でご安置の際はドライアイス必須になります、その際に勘違いされやすいのは、
部屋の温度についてでございます。
よく、部屋は冷たくしないといけないんじゃないの?とおっしゃる方もいらっしゃいが、
ドライアイス、直で当たっておりますので、無理に冷たくしなくても結構でございます。
皆様の過ごしやすい温度で大丈夫です。
また、気温の変化で、お顔に水滴がつく場合がございますので、その際はハンカチやティッシュなので、拭いて差し上げてください。
ご自宅でのご安置が、2日、3日と伸びる場合は、1日に1回ドライアイスの交換に参りますので、ご安心ください。
オリンピックがおこなわれるたびに話題となるドーピング。
今もロシアの選手が渦中に。
心臓病の祖父と同じグラスを使ったから、、、という内容の証言があったようです。
この証言が事実だったとして、はたして意味があるのでしょうか。
私はこういう話題になった時に、故意か過失かは問題では無いと思ってしまいます。
もちろん裁判などで罪の重さを決める際には大きな意味があることは理解しています。
ただ、故意であれ過失であれ起こった事実は変わらないし、起こらないように万全以上の努力をしておく事が出来ていなかったのは変わりません。
葬儀も同じです。
故人様にとって1度だけのやり直しがきかない儀式です。
何かが起こった時に故意か過失かなんて事に意味は無く、「起こさない」事こそがプロなんだと。
なんて偉そうに書いていますが、入社してから上司、先輩に教えてもらった事です。
今日も気を引き締めてがんばります。
コロナウイルスが猛威を振るい出してなかなか休日に遊びに行くことが難しいと思います。
なかなか気分転換やストレス発散も出来ないこともあると思いますが無理をせずに自宅で出来る趣味などを見つけるいい機会だと考えるのも一つの方法なのかと思います。
皆さまも新しいことに挑戦してみるのも良いかもしれませんのでいろいろやってみてはいかがでしょうか。
冬季オリンピックが開催されています。
特にスポーツが好きな訳ではないですが
テレビをつけたらオリンピックをしているので、ついつい見てしまいます。
人間は何回転までできるのだろう?
と思ってしまいます。
もうしばらく眠れない日が続きそうです。
説教臭くなってしまうので、ダメですね。
以前、なんかの機会に自分が本当に好きなことや嫌いなことを書き記すという機会があったことを思い出します。
何のためにかといえば、その人の根幹に潜んでいるものをあぶりだすという目的だったかと。
私の根底に潜むものは、恐らく…と、人様に披露するものでもございませんのでここでは控えますが、簡単にいえば劣等感のようなものです。
この劣等感が、ある意味、自分の支えになり、前向き思考にさせてくれた恩師です。
子供のころから人に尋ねたり、教わるというのがなぜか苦手で、自分ですべて解決しようとする癖は未だに抜けません。自分で考えればなんとかなるだろうと、何の根拠もないのですが、常に考えています。
ただ優秀なわけではないですし、何か後ろ盾があるわけでもないので、まあこのままでは限界があるのでしょう。
まだまだ人としてやらなければならないことはたくさんあるので、日々勉強ですが、こんな私ですら思い出せばいろいろなことがあり、他人が見てる自分とおそらく自分が考えている自分は全く違って、想像もつかないような人生だと思いますし、ましてやこのお仕事でお手伝いさせていただく故人様のことを考えますと、ご家族の思いの中で想像していくことは、純粋に勇気のいる行為だといつも思っております。
サービス業というのは、素晴らしい職業だと客観的に思い、先人を思うのです。
私の母は、一昨年亡くなった祖母の写真を冷蔵庫の上に飾っていて
いつも、何故こんなところに置いてるんだろう?と
思っているのですが、
おそらく一番よく目が行くところなのだろうと
最近感じるようになりました。
でも、私からすると写真だけが飾られていて何となくさみしい。
そこで、手元供養の小さな一輪挿しと小さい仏具を用意しました。
今は親戚が大勢集まり法事をすることもなくなっています。
毎日でなくても、時々手を合わせて少しでも気持ちが
スッとするならと思います。
最近の皆さんの供養のしかたは変化していると思います。
親戚宅に月参りに来てくださっているお寺様と会うと
手を合わせることが大事ですと言われます。
今のところ母は喜んでくれていますが、しばらく経ってからまた様子を
見に行ってみることにします。
昨年11月に入社し早三ヶ月が経ちました。
たった三ヶ月ですが、この短期間で自分の日常がガラッと変化したように思います。(一番の変化は、運転ができるようになったことです。なんとUターンができるようになりました)
掃除の仕方、物の見方…いろんな“how to”に次々と直面し、今現在の自分の力や思慮の程度を振り返り、思いやられるなあと考えることもしばしば。
しかし、職場の方々や訪問先のお客様など、この仕事とご縁があったことで出会えた方々のお言葉や心遣いに、胸が打たれ励みになり、活力になることはそれ以上です。
一日でも、一分一秒でも早く、色んなことができるようになりたいし、自分にできることを少しでも増やしながら、愚直に努めていこうと思います。
川上葬祭の良い一員となっていけるよう、精一杯頑張ります!
これからもよろしくお願い致します。
東京都の小池知事がお亡くなりになられた石原慎太郎前知事の葬儀を都民葬にしようと発言して物議を呼んでいるとニュースで目にしました。
様々な批判を受けながら都民の血税を使ってまでするものなのかな・・・
故人様はどう思っているのだろうと考えてしまいます。
有志が動いているのか、選挙前のパフォーマンスなのか。
いろいろありそうですね。
お骨を何年も仏壇に置かれている方が、お墓に持っていかなきゃという気持ちはあっても、
今のように毎日会えなくなるから中々行動に移せないとおっしゃっていました。
お骨に思い出を語りかけるのが習慣になっているのも理由の一つだそうです。
今はお骨の一部をアクセサリーにして供養するものがあり、最近はそういったものも検討しているようです。
私も身内を数人亡くしています。
カレンダーの日付を見た時にああ、もう少しで命日だ、誕生日だった、等
ふとした瞬間に思い出とお葬式の記憶が蘇るのはなんとももの悲しいです。
それでも笑って懐かしいねと話し合うのは慰めになります。
無理に忘れる必要はないと思います。
どれだけ年数を重ねても悲しみが完全に癒えることはないのだとも思います。
皆様が楽しかった話に花を咲かせることで気持ちが落ち着けますよう、切に願っております。
先月から2匹の猫と一緒に暮らすことになりました。
いきなり2匹は、「お世話が大変!」と周りの人に言われましたが、そんなに大変ではありません。
トイレ掃除、ご飯の用意、爪切り、これくらいですかね
猫は人間ほど長くはいきられないので、飼い始めるのには勇気がいりました。
知っていますか?
猫の寿命は12年から18年が平均で、
生後1年で約18歳、2年で約24歳その後は猫の1年は人間の約4年分に換算されるらしいです。
人間の1年は経つのが早いですが、猫の1年は猫にとって長すぎるんですよね。
今はペットを火葬できる場所、ペット霊園もあるみたいです。
骨箱は手のひらサイズの物があり、ペット用にもいいかもしれません。
当社のホール、家族葬おくりみの2階の廊下に、小さいサイズの骨箱を展示しています。
ご興味のある方はぜひ、おくりみフェアにご参加頂いた際にご覧下さい。
おくりみ内に見学しに来て頂く時でも構いません!
当社はいつでも歓迎です。
私が学生の時に文系の学部だったこともあり、友人で学芸員の資格を取得し博物館などで働いている人が何人かいます。
しかし、コロナの影響で観光産業が大打撃を受け、博物館も来館者がかなり減っているとの事。
今年の1月に島根県にある「いずもまがたまの里伝承館」が閉館しました。
以前、友人が短期間助っ人のような形で働いている時に訪れました。
勾玉は古事記や日本書紀にも記される装身具(アクセサリー)で、古代から魔よけや健康長寿をもたらすとされてきたものです。
大阪にもありますが、博物館所在地の地名は「玉造」。
その名が示す通り、古代には勾玉など玉類の国内有数の生産地でした。
私が訪れた時はちょうど出雲大社で平成の大遷宮がおこなわれていたタイミングだったのでたくさんの観光客がいました。
古来からの文化が無くなるわけではありませんが、1人の職人さんが最低でも3日以上は付きっきりで磨き上げる魂のこもった美しい勾玉の文化を伝える場所がなくなるのはとても残念です。
早くコロナが明けて、自由に色んなところに遊びに行きたいものです。
コロナウィルスがあいかわらず猛威をふるっております
今月末に家族で旅行に行く予定でしたがやむなくキャンセルしました
かなり苦戦して子供に説明するのですがあまり理解できず「代わりにどこどこに行きたい」と言われます
それも難しいと説明すると「イジワル!」と言われてしまいます
コロナのせいで父親の立場は悪くなる一方です
早く落ち着いてくれることを切に願います
コロナウイルスワクチンの3回目になると副反応で熱が出ない方が多いみたいです。
そんな中私先日に3回目を打ちに行ったのですが39度を超える熱が出てました。
人によってどのくらいの副反応が出るかわからないので皆さんワクチン接種の際は翌日は仕事を休んで安静にしてください。
早いものでもう2月です。
1月は去る
2月は逃げる
3月は去る
といわれ、1月から3月は1年で最も時間が経つのが早いと
学生の頃 教えてもらいました。
20年以上前の話ですが、この言葉は毎年思い出します
来年もまた、同じことを思い出すと思います。
2月初旬は、例年一番寒くなる時期ではないかと思うのですが、食生活、衣服やエアコンなどの進化でしょうか、小さいころの記憶にあるような寒くて寒くて仕方がない、指先がしもやけになるなんてことにもならず。
小さいころから、石原慎太郎氏という方は何かにつけ話題性のある方だなと。著作をいうほど読んだことはないので、どちらかというと、「政治家」というイメージが強く。
ただ記憶に鮮明にあるのは、芥川賞受賞者が「東京都知事閣下と都民のためにもらってやる」という発言の経緯。
こういうのを語りだすと、とどまることはないのですが、いろいろと当時の批評家さんなどの言葉にもありますが、野暮だよなーと思った記憶があります。(勝手に思っただけなので批判しないでください)
まあ、時代もうつろい、コミュニケーションの取り方も変わって(進化して?)きた現代です。
好き嫌いという感性の世界はなくならないのですが、氏の作品に対する痛烈な批評なども、しもやけのように懐かしさだけが残るようなものになってしまうのかと思うと淋しい気もします。
いや、でもすごい感性の若手作家さんもどんどん登壇されてくるはずです。
帰宅後、自宅でテレビを見ていると中国黄河上流の少数民族がとりあげられていました。
その民族は亡くなった方の柩を地上数百メートル断崖絶壁にできたくぼ地に安置して風葬をする風習があるそうで、昔の方々は死者の魂は鷹や鷲のように空を舞うと考えたのでしょうか・・・そのために鷹や鷲が巣をつくる断崖絶壁に柩を安置したのかと映像を見ながら想像してしましました。
現在は風葬の数は減っているようですが、崖の上からロープで柩を下す作業は命がけで柩を運ぶだけでも重労働。ほんと考えただけでもゾッとします。
その夜は冷暖房、エレベーター完備の日本のお葬式の便利さを嚙みしめながら就寝いたしました。


































