対峙する最後の夜
先日お手伝いさせていただいたご葬儀のことです。
亡くなられた方は独身で一人暮らしをされており、発見までに少し時間がかかってしまいました。
おしゃれな方だったこともあり、御身内様の強いご希望で、できる限り身支度を整えさせていただきました。
葬儀は宗教者を呼ばず、お花を用意し、出棺までの時間を棺を囲んでゆっくりと過ごしていただきました。
出棺までの1時間、
「よう頑張ったなぁ、ええとこ行きや」
「お母ちゃんが待ってるから、しっかり甘えや」
「ごめんな、気づいてあげられへんかって」
「お酒好きやったから用意したで、しっかり飲みや」
と、最初は故人様に語りかけておられました。
しかし次第に、
「湯灌してほんま良かったなぁ、きれいになってるで。湯灌して正解やったわ」
「ほんまやな、昔からおしゃれさんやったからな。私も死んだら湯灌してもらおかな? あんた、湯灌気持ちよかったか?」
「髪型もずっとこれや、トレードマークやな」
「いつも行ってたパーマ屋がつぶれてからは、自分で切ってたらしいで。あんた知らんかったん?」
と話題は思い出話へと移り、さらに、
「あのパーマ屋つぶれたん?」
「奥さん病気で入院しはって、そのまま閉めたらしいで」
「そら最近見かけへんと思ったわ」
「〇〇のおっちゃんも最近見かけへんけど…」
と、まるで故人様もそこに座って一緒に会話しているかのように、世間話へと広がっていきました。
そして、
「〇〇さん亡くならはったんやて。あっちで会えるで、良かったな!」
「〇〇さんにはお世話になったから、よろしゅう言うといてや!」
と、故人様を家族の一員として自然に会話に交えながら、家族団らんのような時間を過ごされていました。
棺のお蓋を閉じる時も、
「ほなな、後から行くさかい待っててや。お母ちゃんにしっかり甘えや」
と、まるでそこに生きておられるかのように語りかけながら、最後のお別れをされていました。
亡くなった方は何も語りませんが、そこに確かに“いる”存在として接し、語りかけ、共に過ごす。
ご参列の皆様は、普段からこのように故人様を交えて過ごしてこられたのだと感じました。
故人様のお母様は体が弱く、故人様はあまり甘えることができなかったそうです。
お母様の体調が悪い時は、喪主様方と一緒に過ごすことも多かったとのことでした。
それなのに、亡くなる時は一人にしてしまったことが本当に悔やまれる――と、ポツリと本音を漏らされました。
それでも、
「せめて寂しくないように、明るく見送ったらななぁ、そう思はへん?」
「最後に一緒に過ごせてよかったなぁ」
「よかった、よかった、充分や!」
と、ご自身を納得させるように、努めて明るくお話されていました。
当社では「お通夜は、亡くなった方と対峙する最後の夜です。だからお通夜が大事です」とお伝えしています。
今回はお通夜ではありませんでしたが、まさに“対峙する”とはこういうことなのだと、改めて教えていただいたご葬儀でした。
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