少年の生き様
ご葬儀のスタッフとして勤め始めて、もう一年半が経ちました。
毎日は誰かの命日であり、悲しみに寄り添い、打ちひしがれるご遺族と向き合う日々です。
毎日のように学ぶことや考えさせられることが尽きることはなく、この仕事の奥深さに驚かされてばかりです。
あれほど厳しかった夏もすっかり影を潜め、町の様相も変わり、凍えるほど冬の景色へと変わっていきました。「いよいよ今年も終わりか」と思っていた矢先、最近自分よりも若い方のお葬儀を担当することになりました。
自分よりも若いというだけでも胸が詰まる思いがありましたが、その方の歩まれた人生を想像すると心が大きく揺さぶられました。
その方は幼少のころからご病気を患っておられながらも、最期はドナーとして角膜を提供され、亡くなられた後も誰かの人生を支え続けようということからも、どんなお子さんか容易に想像できます。
その方の目が誰かにとっての目となり光となる。生命の神秘を強く感じました。命が尽きてもなお生き続けるという事実に、深い尊敬と感嘆の念を抱きました。
誰かの希望となり、命をつなぐ存在になるということは、簡単にできることではありません。
お母様もお打ち合わせの中で「病気を患っていながらも、それを感じさせないほどの明るさにどれだけ救われたか、どれだけの私たち夫婦が支えられてきたか分かりません。思い返すと、私たちは息子から教わることがいっぱいありました」と涙ながらにお話し下さいました。その言葉を耳にしたとき、改めて命の尊さが私の胸に迫りました。
当事者でもない私がこんなことを語るのはおこがましいかもしれませんが、私はその方を“自分はどう生きていくべきか”を教えてくれる先生のように感じました。
ほんの少しの短い時間しか関わっていない私が、その生き様や決断から学ばせてもらったことはとてつもなく大きいものでした。
人の生き様は、長い、短いなど年齢ではなく、「どう考え、どう生きてきたか」これに尽きると教えられ、誰かのために何かを成すということが人生の道になれば、その先に光があると気づかせてくれました。
ご葬儀の現場には悲しみだけでなく、人の生き方や残していくものの尊さがあります。
私たちの会社の理念には「お葬式は亡くなった方が遺したものへ、老いや病、人の生きざまを自分の身を呈して伝える最後の伝達の場」と記されています。まさにそのことを痛感させられるお葬式でした。
これからも一つひとつのお別れの場に真摯に向き合い、そこから学んだ想いを大切にしていきたいと思います。
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