想い
仲の良い施設の方に、とあるお話を聞かせてもらいました。
「ある高齢の男性が入居していました。体調もすぐれず、あまり長くはないだろうとの見込みでした。
息子様がおられますが不仲で疎遠とのこと。ですが、息子様に体調の事を伝えると会いに来られて、そこで和解、とまではいかずとも穏やかな時間を過ごされました。
お孫さんの顔を見る事も出来ました。
最後の時、お孫さんは間に合わなかったけれども、亡くなる少し前にTV電話でお孫さんのお歌を聞く事が出来ました。」
フィクションでもないような、すごく心に残るお話でした。
しかし、この話には続きがありました。
その施設の方が亡くなった方の話を私にするのは決まって愚痴であり、どうすれば良かったのか、という事後相談です。
元々、施設に入居されていた男性は区の援助を受けており、親戚も疎遠なので葬祭扶助制度を利用しての葬儀になるだろうと施設では話をしていたそうです。
しかし、和解した、と言っていいか分からない息子様が、どうすればいいのか分からず区役所に連絡したそうです。
「その結果、息子様がおられるようなら葬祭扶助が受けられないかも、と役所の人が言っていたそうです。結果はどうなったかまでは分からないけれど…
和解したから葬儀代は出せ。みたいに思えてなんだか納得出来ません、私はどうすれば良かったのか…」
と、施設の方のそんなお話でした。
事前に私に聞いてもらえれば何か別の方法は提案出来たかもしれないのに、と言いましたが、
「あの感動的な状況でお金の事とか葬儀社の事とか、話せないです…」と言われて、
やはりそこだよなあ、と思いました。
以前から何かあれば聞いてください、とは話しているのですが今回は息子様の行動が速く、後になってから聞いて後悔した、と言っていました。
作り物の話と現実が違うのは、どれだけ感動的な話でも現実には様々な問題が付きまとう、と言う、
そんな体験談でした。
葬儀についての事前の相談は不謹慎だとか、人が亡くなっているのにお金の話はしてはいけない、等々。
確かにデリケートな話ではありますが、それで後悔する人がたくさんいます。
普通の人よりも慣れているはずの施設の方でもそういった問題を抱えておられるのです。
葬儀社に相談したり、出来ないのならせめて自分で調べたりするべきと考えます。
今回の体験談を聞き、葬儀社の人間としても、一個人としてもまだまだ考えるべき事、やる事はあるのだ、と思いました。
変化していく世の中や人の考え方の中で、正解を見つけるのではなく正解を探し続ける事が必要なのだと感じました。
日々の経験、仕事、人の思いと真剣に向き合ってより良い物を作り上げられるように励もうと思います。
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