突然の別れ 創業明治10年老舗葬儀社スタッフのリアルな現場。生野区、東住吉区、天王寺区、平野区、北区、福島区の家族葬
私が中学の頃、自分の父親が急にいなくなるなんてことを考えたことなどまったくありませんでした。
あたりまえの毎日。父は朝会社へ出勤し、夜になると帰ってきて家族一緒に食卓を囲み、そのうち酔っぱらってソファーで寝てしまっている父の横で私は夢中でテレビゲームをしている。
悪いことをすればカミナリを落とされ、良いことをすれば褒めてくれる普通の父。
当時は、そんな父もいずれ、おじいちゃん、おばあちゃんのようになってテレビドラマで見かける光景のように病院で亡くなるのかなという程度で別世界の出来事のようにしか思っていませんでしたし、
大人になった今でも「父の死」「親の死」というのは別世界の出来事のようで、葬儀社に勤め、日々人の「死」に接していながらも、いざ自身の親のこととなると、未だに思考を避ける画のごとく、ぼんやりとしています。
しかし、現実は誰にでも必ず起こりえる事なのだとあらためて、思い知らされるご葬儀を担当しました。
ご依頼が入りお話を伺うと亡くなられたのはご主人様。ゴルフ場で急に胸が苦しくなり倒れられ病院へ緊急搬送。懸命な治療の甲斐なく息を引きとられたのこと。
寝台車で病院へお迎えに伺うと、ICUの待合室で奥様が目を真っ赤にしながら私たちを迎えてくださり、お話を伺うと奥様以外のご家族様は先に自宅へ戻っておられるそうで、ご主人様と奥様をご自宅までお連れさせていただきました。
自宅に到着し、私たちスタッフを玄関で出迎えてくれたのは中学生と小学生の息子様でした。
お部屋の準備のために上がらせていただくと、息子様はお父さんをお寝かせする布団を運んだり、部屋の荷物を片付けたり率先してお手伝いをかってでてくれて、まるでお母さんを励ますかのように頑張ってくれました。
翌日、ご葬儀の打ち合わせのためにご自宅へ伺い、お話をしていますと、ご主人様の年齢は若干43才、一番上の息子様は15才で最近誕生日を迎えたばかりと奥様より教えていただき、ご主人の年齢などをメモにとりながら、その時「ふと」ある考えがよぎったのです。
ご主人様が平均寿命の84才まで生きたとして息子様はあと41年間お父さんと一緒に過ごすことができたはず・・・
今日から葬儀までの3日間が息子様には41年間の時間と等しい価値を持つのだと。
その瞬間、奥様や息子様は勿論、ご遺族皆様にとって、
「絶対にかけがえのない時間にしていただかなければならない」と強く思ってなりませんでした。
その後、自分の持てる力すべてをご遺族のために費やしたのはいうまでもありません。
葬儀が終わり49日法要の打ち合わせに自宅へ伺うと、奥様や息子様が穏やかな笑顔で私を出迎えてくださり、私なりに全力でご主人様の葬儀を対応させていただいたことが、少しでもご遺族のお力になれたのかなと、うまく表現ができない安堵の思いを感じました。
また同時に、自分や両親が元気に過ごしていることは当たり前ではなく、もしかしたらいつ起こるか分からないからこそ一緒に過ごす時間を大切にして相手に愛情深く接することの大切さを感じ、このご家族はきっとそういう日々を送られてきたのであろうと思いました。
そんなとき、自分の両親の顔がふと浮かびました。
これが葬儀の一つの意義ではないか…。
こんなことを故人様は身をもって教えてくださり、この葬儀に関わられたたくさんの人にも故人様のお気持ちが伝わったのではないかと、強く心に残るご葬儀でした。