自分自身の「生きる意味」
お葬式の仕事を始めてから、気がつけば一年が経ちました。
毎日、祭壇の前で故人様と向き合い、その横で涙するご遺族に寄り添いながら、私はいつも自分自身の「生きる意味」を考えます。
最期のお別れの瞬間、その方が歩んできた人生のすべてが一瞬にして胸に迫ります。
喜びも悲しみも葛藤も、すべてが一つの物語として集大成を迎える。私はその光景の中で、人が生きた証しの尊さを改めて実感しています。
この仕事を始める前はお寺様のことは全く関心がなく、普段何をされているかさえも知る由もありませんでした。今では毎日のようにお寺様と対面し、「お寺様」と一括りにも呼んでしまいますが、こんなにも宗旨宗派で違いがあるのかと驚かされました。特にお勤めを終えた後の法話は、まさに十人十色。住職ご自身の言葉で届けられるその法話には、毎回異なる教訓と、深い面白さがあります。先日の法話では、まず「最近、わずか二歳のお子さんと、百歳を超えるご長寿の方のお葬式を続けて担当した」とお話しになりました。短い人生も長い人生も、それぞれの物語があり、人それぞれの人生がある中で、生きる意味とは何なんでしょうかと、問いを投げかけられたのです。
さらにご住職は、長年の門徒であるある男性の人生を例に挙げました。その男性は起業に失敗し、絶望の淵に立たされたものの、どんなに苦しくとも奥様の無償の励ましに支えられました。そして彼はこう結論づけたのです「人のために生きることこそが、私の人生の意味なのだ」と。私はご遺族とともに静かに頷き、その言葉の重みを胸に刻みました。
お葬式を終えたあと、ご遺族様から届く感謝の手紙では綴ってくださるひと言ひとことが私にとって何よりの宝物です。そのお言葉が私の仕事を続ける原動力となり、「誰かの支えになる」ことの尊さを再確認させてくれます。
この一年で学んだのは、葬儀は終わりではなく、新たな歩みの始まりだということ。故人様の人生を見送り、ご遺族の未来を思う時間の中にこそ、私自身の生きる意味があるのだと日々実感しています。
これからも、一件一件のご縁を大切に、心を込めてお手伝いしてまいります。もし葬儀の後に何か感じられることがありましたら、ぜひお声をお聞かせください。
皆様からのひと言ひとことが、私のこれからの「生きる意味」に繋がり、このご縁はさらに繋がっていくのではないかと思っています。