自己紹介
先日ご自宅にてお打ち合わせをしていた時に差し出された、たくさんのお写真データとお話が印象に残ってます。
故人様は写真が趣味だったそうで、高齢になってはいたがまだ元気に歩き死が近いわけでも、重い病気を抱えているわけでもないときに自分がいなくなったらどんな顔が残るのだろうと、
そのように考えて「一枚くらいちゃんとした写真を撮っておこう」と写真館に行って写真を撮影して来られたそうです。
ですが、出来上がった写真を見て首をかしげて笑顔が不自然で自分らしくない。目元に宿るはずの疲れや癖が、妙に消えてしまっているように感じる。それ以来、故人様の「遺影探し」が始まったとのこと。
様々な場所へ一緒に出掛けては写真を撮ることが増えていく日々。
パソコンのフォルダには「候補1」「候補2」と増えていき、「やっぱり違う」「これは老けて見えてる」という名前の付いた画像が並んでいき、どれも決定打にならない様子だった。
喪主様は、「じゃあどんな写真だったら納得するの?」「遺影なんて誰も気にしないよ?」と聞かれると故人様は「不自然な笑顔だったらこの人無理して笑ってたのか」「古かったら本当は年をとってからどんな顔だったんだろう」と思われるかもしれない。
だから、出来るだけ「等身大の自分」を残したいんだと笑っておっしゃられたと。
そのような中で決められた写真は、特別きれいでもない。特別若くもない。ただ、少し笑っている。そんな普段から見ているありふれた表情の一枚の写真。
このように受け取ったお写真を受け取った際に、遺影写真にこだわりが強い人は、死を美化したいわけではなく人生の終わりに置かれるたった一枚の自己紹介をきちんと済ませたいだけなのかもしれないと感じました。
この経験を生かして、自身のことで相談に来られた方には、写真の準備は最後を迎える準備ではない。「自分はこういう人間でした」と伝えるために撮られても良いのではないかと話していきたいです。
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